ども!タビビシスター(@tabibisister)です。
最近話題のウイグル問題。
これに関して思うことがあるので、かなり独断と偏見を交えて好き勝手に書いていきたいと思います。
私自身は、何か特定の政治的な考えを持っているわけではありません。
しかし、何となく今の気持ちを書いておきたいと感じたので記事に残しておきます。
苦手な方はスルーして下さい。
目次
現代のホロコースト?新疆ウイグル自治区の弾圧問題
私がウイグル問題について知ったのは清水ともみさんの漫画がきっかけです。
元々、新疆ウイグル自治区でテロ等が多発していることはニュース等を見ていて知っていました。
しかし、こんなにもひどいことが平然と行われていると知り、あまりの衝撃と惨状に涙がこぼれました。
日本ではあまり報道されていないけれど、今は海外のニュース等はYouTubeで見ることが出来るしネットで色々な情報も得られます。
ウイグルの人々が置かれている状況はあまりにも悲惨で非人道的で本当に言葉が出ません。
再教育という名の元に、強制収容所のような施設に無理矢理連行されて、そこで虐待のようなことが当たり前のように行われている。
女性はレイプされて強制不妊手術まで受けさせられ、勝手な理由で殺されて大切な命がゴミのように捨てられている・・・。
もし自分や家族、大切な人がこんな目にあったら?
自分の身に置き換えて考えてみると、とても恐ろしいし、辛いし、これが同じ人間のやることか?という非道な行いの数々に、底知れぬ怒りや悲しみがふつふつと沸き上がります。
これを許していいのだろうか?
ナチスのホロコーストと一緒だし、それ以上のことをやっています。
新疆ウイグル自治区は中国と中央アジア地域を結ぶ地域であり、古代から民族や文化、宗教、東西の食文化等の交差点として栄えてきました。
この辺りはいわゆるシルクロードでも有名ですよね。
昔から西遊記が好きだった私は、いつか玄奘三蔵の足跡を辿る旅をしたいと思っていました。
タクラマカン砂漠、カシュガルやウルムチ、トルファン。
どこか郷愁を誘うような、ロマンを感じさせるような雰囲気があり密かに憧れていた地域です。
いつか新疆ウイグル自治区に訪れたい。
そう思っていましたが、まさかこんなことになっているなんて。
全ての中国人が悪いわけではないし、元凶は共産党であって、中国人にだっていい人がいるのは当然理解しています。
しかし今、ウイグルで行われていることが正しいことだとは私は決して思えません。
ウイグル人に伝わる料理を食べて悲しさを感じた
私の母は趣味で中国語を習っているのですが、その関係で時々中国語の先生から手作りのご飯をいただく機会が多々あります。
最近、また先生からご飯を頂いたらしく、その料理がたまたまウイグル族に伝わるレシピでした。
料理自体はもち米と羊肉を使ったスパイシーなピラフのようなもので、とても美味しかったです。
モチモチとした食感といい、マトンの柔らかい肉の歯ごたえといい、自分の好みの味わいでした。
何より、香辛料がいくつも混じった複雑でエキゾチックな匂い。
この匂いを嗅いだ瞬間、自分がかつて旅したイスラム諸国で味わった現地の料理を猛烈に思い出させてくれました。
これは中国料理ではなく、紛れもなくイスラム文化を受け継ぐウイグルの人々の料理なのだ。
そう感じました。
一般の中国人家庭でも当たり前のようにウイグル人の料理を作っている。
その事実に少々驚くと同時に、何故かものすごく悲しい気持ちになったのを覚えています。
母の中国語の先生は北京出身の漢民族。
でも、彼らの食卓にはウイグル族に伝わる料理が家庭料理として当たり前のように提供されている。
これはつまり、ウイグル人の食文化は一般の都市部の中国人の間でも普通に浸透している、ということではないのでしょうか?
なのに、中国という国はウイグルの言語、文化、民族自体を再教育という名のもとに存在そのものを消し去ろうとしている。
こんなことが21世紀にもなってまかり通っていることに愕然とします。
内モンゴル自治区でも少数民族の弾圧が行われている
新疆ウイグル自治区と同様に、内モンゴル自治区でも中国政府によって虐殺が繰り返されていると最近知りました。
すでに3万人もの命が奪われているそうです。
2005年、私はNPO主催の旅行で内モンゴル自治区を訪れたことがあります。
首都のフフホト観光にプラスして、馬に乗って草原を4日間で400km移動するという、なかなかにスパルタな内容のツアーでしたが、これがかなり楽しいものでした。
乗馬中はモンゴルの遊牧民になったような気分でひたすら草原を駆け抜けました。
早朝4時に起きて6時から出発し、日没までずっと馬で移動する。
全身が筋肉痛になり、4日で3キロも痩せて、腹筋と太ももが異様に引き締まり、乗馬を終える頃にはふっくらしていた顔が別人のようにこけていたのも今となってはいい思い出です。
宿泊は伝統的なゲルを使い、食べるものは羊肉やご飯を煮込んだおかゆのようなもの、そしてバター茶のみ。
寝泊まりするゲルの中には何もなく、寝る時は申し訳程度のござのようなものを敷くだけ。
夜になると虫が一杯出てくるし、トイレなんてものはないので外で用を足すことになります。
ツアー中はずっと内モンゴル自治区の遊牧民たちと一緒に過ごしました。
彼らは素朴で優しかった。
言葉は通じないけれど、一緒に過ごすうちに何となく意志の疎通が出来るようになりました。
ご飯をよそってもらう時、毎回私が「山盛りにしてね!」と言っていたら、その言葉を覚えたのか、食事の時間になるとしきりに「ヤマモリ、ヤマモリ」と笑いながら声をかけてきたりと、不思議な無邪気さもあったりして。
でも、一度馬に乗れば人が変わったかのように精悍な顔つきになります。
どんな暴れ馬でも乗りこなし、まるで馬と友達であるかのように心を通い合わせていたのが印象的でした。
馬に乗り、移動し、ご飯を食べて、眠る。
シンプルな暮らしをしていた彼らは、都市部の人達と比べてとても自然体な生き方をしていて、野性的で逞しい部分もあるけれど、どこか朴訥な雰囲気があり擦れていない感じがしました。
・・・今でも思い出すことがあります。
ツアー中、一人の女の子が草原の風景を水彩絵の具でスケッチしていたら、すかさずそれをとりあげた遊牧民のおじさんがいました。
嬉しそうにそのスケッチを他の遊牧民達にみせびらかし、皆で輪になってゲルや馬の絵を指差しながら口々にあーだこーだとお喋りをしていて。
女の子は自分の絵を返してと何度も抗議したものの、その絵がすっかり気に入ってしまったおじさんは、結局彼女に絵を返さずに勝手に自分のものにしてしまいました。
女の子は絵を諦めざるを得なくて、一人で泣いていて可哀想だと思いましたが、なんとなくこの時の光景は今でも目に焼き付いています。
きっと彼らは、自分達の伝統的な暮らしを見知らぬ日本人に描いてもらって嬉しかったんだと思います。
遊牧民の人達は移動生活が主で、決して裕福ではありません。
水彩絵の具も持っていないしスケッチブックも持っていない。
女の子がスケッチしている時、絵の具が物珍しかったのか、近くにいたおばさんがニコニコしながらこれは何?と身振り手振りで尋ねていました。
出来上がった絵を見た時の遊牧民の人達の嬉しそうな笑顔といったら。
あの笑顔が忘れられません。
きっと自分達の文化や暮らしに誇りを持っているのでしょう。
彼らからはモンゴル流の馬の乗り方、馬頭琴の弾き方を教わりました。
それまで乗馬を全くしたことがなかった私でも、ツアー初日から並足、駆け足、速足が出来るようになりました。
モンゴル相撲を見せてもらい、遊牧民達に交じって競馬にも参加しました。
素朴で、逞しくて、自然と共に生きる優しい人達。
遊牧民の人々のシンプルな暮しと人柄からは学ぶべきものが沢山ありました。
しかし、そんな彼らの生活も今、中国によって脅かされ、危機にさらされているのです。
自分に出来ることは現状を知って自分なりの想いを綴って発信すること
内モンゴル自治区の遊牧民の人達がウイグル族と同じようなことにならないことを願っているけれど、私が彼らに対して何か思ったり祈ったりしたところで、現状を変えられるわけではありません。
私に出来ることは何もないのです。
でも、書かずにはいられませでした。
平和であることは当たり前ではないんだということ。
シリアに行った時もそう思ったけれど、その国がその国であり続けることは当たり前ではないのです。
ちょっとのきっかけで変わってしまう。
今、新疆ウイグル自治区では街中の至る所に監視カメラが設置されていて、検問がそこかしこにあり、再教育施設と呼ばれる建物が次々と建設されていると聞きました。
警備員がうじゃうじゃいて、公道を装甲車が平然と走り、住民は常に監視されているから観光客には余計なことは一切言えず、ただニコニコと偽りの笑みを浮かべることしかできない。
仮に私が今、新疆ウイグル自治区に行けたとしても彼らの本来の生活ぶりを見ることは出来ないでしょう。
言語も宗教も自分達の大切な文化を何もかも奪われ、民族としての誇りを蹂躙されて弾圧される。
こんなこと、あっていいはずがない。
好きな時に海外に行ける。
自由に人間らしい生活を享受できる。
これがどれほど恵まれていることなのか、日本にいるとなかなか実感出来ないかも知れません。
でも、海外に行くと自分が置かれた環境が当たり前ではないことに気付きます。
海外旅行が好きで、海外に興味はあるけれど、観光で訪れることしか出来ない自分。
私にやれることは何もなく、ただ、こういう記事を心のままに書き連ねることくらいしか出来ません。
歯がゆいです。
でも、これを読んだ人のうち一人でも二人でも今、新疆ウイグル自治区で起こっていることに関心を持ってくれたのなら。
私が発信したことも多少は無駄ではなかったし、多少は役に立ったといえるかも知れません。
無関心は罪です。
知ることは最初の一歩です。
知ることで何かを感じ、自分から動いたり、誰かに思いを伝えたりすることが出来るんです。
私は無関心ではいられなかった。
新疆ウイグル自治区の人々が、早く人間らしい生活を取り戻せることを心から祈っています。
そしていつか、彼らが本当の笑顔を見せられるような暮しが出来るようになったその時に、いち観光客として新疆ウイグル自治区を訪れたいと思っています。
彼らの誇り高い文化をしっかりこの目で見て、心で感じて、またブログで旅行記として綴れたらいいなぁと思います。
どうかそれまでウイグル人という民族が存在していて欲しい。
切に願っています。